ラベル

2011年5月3日火曜日

裏庭は猫の聖域

荒廃していた裏庭を畑にしました。(荒廃期の写真は無いけど)

庭仕事をするために出入りしたら猫が出てしまい、なし崩し的に半外猫に。

結果、外に出せ出せとうるさいとです。

2011年5月2日月曜日

おしゃまさん

珍しく正面からとれたラガヴーリン。

ふてぶてしい当歳児

スチールラックの猫スペースでくつろぎ中。

裏庭探検以降顔つきがかわってきたオーバン

原野の調理

人類学者は世界のいたる所に出張っているが、もっとも食料事情にめぐまれたフィールドワーカーは東南アジアだと私は考えている。野菜類の豊富さ、家畜、野生動物、発酵調味料、スパイス類etc。もちろん料理ベタな人だっているのだろうけれど、屋台の充実はそれを覆い隠してくれる。

一方最も不幸な地域はケニアのチャムスである。チャムスは牛牧畜の半農半牧の民であるが、どの料理にも薬草を入れるためにむちゃくちゃ苦いのだという。その薬草が本当に厳しい環境で生き延びるのに有効なのか難しいところではあるが、血やミルクとわずかな穀物というそもそも普段の食事自体が厳しい環境にあって、貴重な肉料理を不味く調理するとかクラクラしてしまう。

野の医療―牧畜民チャムスの身体世界
著者:河合 香吏 出版社: 東京大学出版会 (1998/07)

さて、トングウェの料理はどうだろうか。私の知る限りどんだけ貧乏なトングウェであろうと塩(Uvinza産岩塩)は買っているので、しょっぱすぎることはあり得ても、味がないという悲劇は存在しない(ただし「塩を切らしたから今日は味なし」にしそうな人々はたくさんいる)。

一方でタンザニア全土の味のベースである、玉ねぎとトマトを炒めたペーストを作るのに必要な3つのうちどれかがない、というのはよくある。彼らの価値観ではあのペーストは味の基本ではない。

唯一年間通して手に入ると言えそうなのはトマトだ。ここでいうトマトはミニトマトくらいのサイズで甘いと言うより酸っぱいもので、畑の脇にいい加減に植えられたものだ。よくタンザニアの市場でみる甘味の強い大きなトマトがないのは、病害虫に強い品種が選ばれているのかもしれない。それでも何となく年中実がなっているのは、乾季もちゃんと収穫出来るように川のすぐ側の水環境のいいところにちゃんと植えていて、品種的にも肥料食いじゃないからかもしれない。肉や魚の調理に必ず投入するというわけではないけれど、蔬菜類のための旨味調味料として彼らもかなり依存しているようだ。

ないのは玉ねぎと油。玉ねぎにいたっては、農薬がないとロクに育たない、といい熱心に育てている人間が少なく、手に入ったらラッキーレベルである。油はパームヤシでつくる赤い色をしたmaweseと現地で言うヤシ油で、一応生育の南限のはずだが、加工がめんどくさいという理由と、なくても生きていけるという価値観のために、シーズンにちょっとあればいいと言う感じで、滅多に買わないし、作付け面積も増やす気配がない。

一方で出汁材兼具材としてダガーとトゥンクリははずせない。前者はなんとイワシ(ニシン科の小魚)。タンザニアでは湖水産の小型の日干し魚を全部dagaaというけれど、タンガニーカ産のものは正真正銘のイワシの仲間で、なおかつ癖がない。トゥンクリはコイ科の小魚で河川で生活している。小雨季に遡上するのでトングウェたちはモンドリを仕掛けて捕まえる。新鮮なものを炙って塩を降って食べると最高に旨いが、燻製にして保存食にもする。下の写真はトゥンクリを炙るために小枝に挟んだもの。

きのこ類も良い出汁が出る。とはいえ彼らは何故か干しきのこをほとんど作らなくなってしまっているので、基本的に雨季の時だけフレッシュなものを使う。

彼らの料理の中で最も贅沢なものは、こういったキノコと野生動物の肉を炊き合わせたものだが、後者を手に入れることは難しいので、1年間もいながら未だに未経験。

蔬菜類についてはまた別稿に。

2011年4月27日水曜日

トングウェと犬

トングウェの多くは今でもイスラーム教徒である。それはイスラームに改宗することで、19世紀の奴隷狩りの難を逃れるためだったからだと以前聞いたことがある。イスラム教徒は同胞を奴隷としないので、民族間戦争で負け、捕虜になったとしてもアラブの奴隷商に売られないというわけだ。
社会的に極めて親しい民族であるベンデ人の場合、ミッショナリーがかなり初期に入っていったカレマやムパンダに住んでいることもあって、キリスト教に改宗することで身を守った人々とイスラーム両方がいることと対比的だが、これは外部世界との接触のタイミングの問題なのだろう。

という前フリをして、記念すべきブログ第一弾のネタは、アフリカのムスリムと犬の関係からみたトングウェの特異さだ。

ムハンマドの言行録ハディースの記述によって、ムスリムは犬を不浄の動物として激しく嫌うと一般にされている。
マスルークは次のように伝えている 
    アーイシャのいる所で“礼拝を無効にするものは犬とろばと女性である”ということが語られた。
    ところが彼女はこういった。
    「あなた達は私たちをろばや犬にたとえましたね。
    アッラーに誓って、アッラーの使徒は私が彼とキブラの間の寝台に横たわっているにもかかわらず彼は礼拝しました。
    私は(生理的欲求など)何か必要を感じた時はアッラーの使徒の面前で起きて座ることになり彼を邪魔することになるのでその時は(そうなることを避けて)ベッドの脚の間からそっとすり抜けて出ました」
日本ムスリム協会 サヒーフ・ムスリム 礼拝者の面前に横たわること
1巻 P.348-350
アブー・フライラによると、アッラーのみ使いはこういわれた 
    「もしも犬が誰かの食器具を舐めた場合、中味を棄て、その容器を七度も繰り返し洗わねばならない」
日本ムスリム協会 サヒーフ・ムスリム 犬の舐めずりについて
1巻 P.214-215

アフリカの犬は番犬として飼われている場合でも、些細なことで蹴っ飛ばされ、残飯も与えられず飢えていることも珍しくない。アフリカ人の場合、ムスリムにかぎらず誰でも犬に対して厳しいので、東南アジアやアラブ人みたくムスリムだから犬に厳しいという言い方はできないが、少なくともどの町も村も犬は痩せこけて南京虫にたかられている哀れな動物だった。それどころか名前すら与えられていないことすらありふれているのだ!!

そんな哀れな犬たちだらけの陸路をゴリゴリ進んでいくうちに固まったアフリカの犬に対するイメージは、トングウェランド、特に山中に入ると一変した.


簡単に言えば犬が愛されているのである。もちろん蹴っ飛ばす奴もいるが、それは犬が怖いから嫌いという理由であり、宗教的な理由は示されない。多くのトングウェにとって犬は生活の友であり、猟犬として頼りになる存在だった。アフリカの常として首輪もつけずに放し飼いなのはともかく、集落内どころか他の集落にまでフラフラ歩いていき、餌をねだる犬がいる。そしてトングウェは餌をほいほいやってしまう。少年たちは私に写真を撮ってもらいたいのか、記念撮影に犬を抱きかかえてくる。


とくにびっくりしたのは、ムウェッセの中学の側に住むあるトングウェの家にお邪魔した時のことだった。みんなでお昼ご飯に大皿にもったウガリを食べていたら、急に家主が握りこぶし二つ分取り分け、自分の手元に確保したのだ。

「今食べる分のみ取らないなんて、無礼なやつだな」と思ったのだが違った。彼は犬用の飯を客人と共食しているところから確保したのだ。私が世話になっている連中も多めに作った残りを犬にやることはあるが、一度皿にもってから取り分けて犬にやる人間はさすがに彼だけである。

彼の犬たちはみな毛の艶も綺麗で、南京虫もダニもたかっていない。体つきは立派で、これならキイロヒヒのオスともやりあえるという立派な猟犬の面構えであった。

そう。犬の主たる役割はキイロヒヒの猿害から畑を守ることだ。ヒョウやライオンと戦うには銃しかないが、キイロヒヒの場合、犬で追い払ってやればビビったメスやコザルは動けなくなり捉えることができる。そうすれば群サイズが抑えられるので、食べごろのバナナが全滅、という悲劇が抑えることが期待できる。

若者たちにとってヒヒ狩りは手軽なレジャーという側面もあるようで、雨期のさなか鉄製の槍を担ぎ、犬を何頭も従え森に入るのをよく見た。猟銃は高価な威信財でもあり、若者はなかなか持つことができないし、パンガ(山刀の一種)だと動いている動物を殺すのも難しい。槍ならば犬が取り押さえているヒヒを仕留めるのにもってこいな実用的な武器である。

しかしキイロヒヒは犬には大物らしくたまに手酷い傷を負って帰ってくることもある。下の写真は雄のキイロヒヒとマンツーマンで戦ったシンバ4歳。

シンバは傷口に脂を塗りこむといった治療を施され、またケモノの治療に詳しい人に見てもらうなど大切にされていた。シンバの怪我は治ったが、半年後寄生虫にやられ、姿を見せなくなり、行方不明になった。家人たちは捜索し、亡骸を大切に葬った。

狩りの主力であるシンバが死ぬと困ってしまうので、代わりの犬として貰い受けたのが次の写真の犬たちである。

一緒にもらってきた子犬はただだが、左の成犬は10000Tsh.彼らの年収からするとトンデモナイ高額な買い物である。名前はシンバ。別に先代シンバの名前を引き継いだわけではなく、彼らはオス犬にシンバ(ライオンという意味)、メス犬にチュイ(豹という意味)と名前をつけがちなだけ。

この犬も優れた猟犬で、畑が荒らされすぎずに済んだ。私は餓死することなく無事に日本に戻れたのは彼ら猟犬たちのおかげであるといっても過言ではない。