ラベル

2014年3月30日日曜日

elementary OS 0.2をインストール後にしたこと

ながらく使っていたUbuntu 13.04なのですが、どうもフリーズすることが多く、近々別のディストリビューションに変えないといけないなあと思っていたところ、[elementary OS](http://elementaryos.org/docs/user-guide/user-guide)をみつけました。以前使っていて快適だったubuntu12.04ベースであったことと、USBメモリにいれて試したところ、ノートパソコンの無線lanも普通に使え、その他の標準アプリもシンプルで素敵なアプリケーションのようにおもえたのがインストールの決め手となりました。

しかし実際に使ってわかったのですが、標準アプリはかなり使い物になりませんでした。なのでubuntuの日本語化しただけではほとんど使い物になりません。そこでどのようなアプリに変更したのかを公開します。


標準アプリ
まず標準のままであるのは以下のアプリです
* Plank Dockアプリ
* Totem player 動画プレイヤー
* Files ファイルブラウザー

使い物にならなかったのは次のアプリ
* midori ウェブブラウザー。落ちるので脱落。軽量ブラウザーとしてはEpiphanyのほうが使える。なぜこれが選ばれたのだろうか。選択した状態で右クリックから検索できるぐらいしかメリットがないぞ
* music 音楽プレイヤー。シンプルでインストール直後は問題がなかったのだけど、新しい音楽ディレクトリを指定しても読み込んでくれない、音量設定はパソコン本体でしかできない謎の欠点があり脱落。
* scratch エディタ。編集以前に日本語ファイルを閲覧できずに落ちる。gedit以下の糞アプリ。
* calendar カレンダーアプリ。google calendarと連携できない
* gaery メーラ。calendarの欠点をthunderbirdでまかなう為に離脱。アプリとしては優れているのにとばっちり

# 追加アプリ
* chromium midoriから変更
* Exaile 音楽プレイヤー。試し中. 使いにくいのでSayonara playerをインストールしました。快適
* emacs24.3 これまでemacs23を使っていたけれど、ついにアップデート。それにあわせて.emacsファイルも作り直し。howmもいれたよ。
* thunderbird メーラ&カレンダー。elementary os用テーマもあるよ。
* LibreOffice4.2 オフィスアプリ。そのままapt-getしだだけではversion3.6くらいになるので、debから。
* Ebview Epwingビューワ
* Golden dictionary 辞書アプリ二号。stardictの辞書用
* ibus-mozc anthyは嫌いなので。あとでibus-m17nもいれる
* dropbox
* Mendely 文献管理ソフト
* clipit クリップボード管理
* Ubuntu tweak tools
* Elementary tweak tools [elementary専用設定ツール](http://elementaryos.org/answers/install-elementary-tweak-1)

2014年2月14日金曜日

書評 :水溜真由美 『サークル村』と森崎和江:交流と連帯のヴィジョン』

本書は、1960年代の労働者による文化サークル運動と社会思想の関係を、男性側の中心人物であった谷川雁や上野英信に対して、女性側の中心人物の一人である森崎和江に注目することで描き出すことを狙ったもの。多くの関係者に対する貴重なインタビューによって、発表された作品だけではわからない当時の状況がみごとに描き出されている。

谷川や上野が中央-周辺の二重構造や地方によって分断された労働者の連帯を主張し、そのためにサークル活動をつなげる「サークル村」をつくりながらも、その枠組みから(炭鉱には女性の労働者がいるにもかかわらず!!)女性を排除しようとしたのに対し、森崎は女性も含めて、そして朝鮮籍の労働者を含めて連帯をつなごうとする姿勢を貫いているのがとても興味深い。このような労働者におけるジェンダーの問題が炭鉱の労働争議以降、森崎がからゆきさんや慰安婦問題に関心をよせていく契機でもあった。

物をもたない周辺化された人々が連帯を構築しようとするとき、いつも亀裂が走り分派してしまう。左派が抱え続けているこの問題の多くが60年代に噴出していたことが明らかにされ、そして今も克服できていないことを痛感する。

高度経済成長によって忘れ去られてしまったこの経験は、今問題になっている派遣労働者と正社員の格差問題、性差別問題、人種差別問題などに取り組んでいる多くの人々にとって振り返られるべきことではないだろうか。一読をお勧めしたい。

『サークル村』と森崎和江 ―交流と連帯のヴィジョン―
水溜 真由美
ナカニシヤ出版
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2014年2月12日水曜日

書評:白川俊介『ナショナリズムの力: 多文化共生世界の構想』


(Amazonに掲載した書評に多少手を加えて再掲する)


(アメリカの文脈で言う)リベラリズムとコミュニタリアニズムの議論を踏まえて、近年英米で主張されているリベラルナショナリズムに基づき、(政治的共同体としての)ネイションの必要性を主張するという趣向になっている。すなわち旧来のリベラリズムは、文化的帰属から自在になれるという自律的な人間観という啓蒙主義に立つことで、人の移動(移民)の自由を認めてきたが、政治的な共同体のもつ枠組みの文化的な偏りを反省すると、ひとびとはネイション単位で生活をしなければ、十分な社会正義を実践することができないと著者は主張している。

なるほど、リベラルナショナリズムと呼ばれる思潮についての議論の整理として本書はよい入門書になっていると思う。しかしながら議論の展開について、全面的に賛同できるかというと、私を含め、疑念を持つ人が多くはないだろうか。

簡単なところから問題点を挙げていこう。著者は従来のリベラリズムを雑居型共生として退けるのであるが、その代替案として棲み分け型共生モデルを(トンデモというレッテルがはられることさえ珍しくない)今西錦司の思想から引き出すのである。しかもその際に今西のダーウィン批判(実際は「クレメンツのclimax theory」批判)を鵜呑みにして、競争型の秩序を批判しており、ダーウィニズムについての常識的な理解として非専門家といえどもまずいだろう。また、今西の「棲み分け」を生態学によって観察された事実として引用しているのならば、自然主義的誤謬であり、規範論的に議論していないのではという疑いを拭えない。今西が「今や国家が棲み分ける時代」という文章を残していることを差し引いても、国境線によって分割される国体と、政治的共同体であるネイションを一致させることの規範論的な含意は別の話なはずだ。

さらに、ネイションの持つ含意が一律すぎて多元的な価値観を認めるにしても同じように棲み分ける主体としてのネイションがありえるのか答えていないのではないだろうか。教育、地域通貨などの経済、他の地方への再分配の拒否といった現在の地方分権傾向や、TPPに代表される経済や防衛におけるリージョナリズム、あるいは地方政治における外国人参政権といった、国ごとに異なる展開を見せているネイションにリベラルナショナリズムが着いて行っていないのではないかという感触をもってしまう。問題にしているのが外国人移民と難民の問題だけであり、非常に不満が残った。

最後に、英米の思想でないことからある種のないものねだりではあるが、ひとつ指摘しておきたい。鳩山由紀夫の「友愛」思想を夢想的な雑居型共生の思想として却下しているが、本来「友愛」はフランス革命の理念であり、ナショナリズム編成の原理にほかならない。鳩山一郎はこれを田辺元から教えられたと言われている。そして今西錦司が「すみわけ」にならぶ原理として主張した「種社会」の元ネタも田辺の「種の論理」にほかならない(『評伝 今西錦司』などを読んで欲しい)。したって今西を持ち上げながら鳩山を否定するのは矛盾した態度という事になる。

多文化主義と両立するナショナリズムの可能性としての「種の論理」については酒井直樹がすでにいくつか論考を発表しているので参考になると思う。私見では「種の論理」はリベラルナショナリズムそのものであり、田辺の研究を進めたほうが、今後白川氏自身の研究の発展に寄与するのではないか。


ナショナリズムの力: 多文化共生世界の構想
白川 俊介
勁草書房
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2013年12月18日水曜日

更年期と閉経の進化について原著論文を読んでわかったこと

Francisco Ubeda, Hisashi Ohtsuki and Andy Gardner(2013)"Ecology drives intragenomic conflict over menopause,"(pdf) Ecology letters, doi: 10.1111/ele.12208.をざっと読みました。

読んだ感想はといえば、プレスリリースの説明と論文のディスカッション両方共結果と合っていないといったところです。

シミュレーション結果であるfigure2を見る限り、メス分散(父系的)のときには、父親由来の遺伝子による閉経誘導のタイミングが、そうではない(母系的な)群をつくる場合よりも遅れるようになっています。いいかえれば父系社会において、父親由来の遺伝子の観点からすると、母親由来の遺伝子よりことさら早く閉経を促進する適応的な意義が相対的に小さい、あるいはないということになるでしょう。

逆に言えば、母系社会においてオス由来の遺伝子が閉経を促進する適応的な意義があるということになります。そのことを端的に示すのがfigure2(b)で、母系的な集団では更年期が30−43であり、父系集団の60-67よりも早く、そして長く訪れる結果になっています。つまり母系的な集団のほうが父親由来の血縁度と母親由来の血縁度の関係から、それぞれの系列にとって適切な閉経時期がおおきく異なり、しかも閉経する時期が早いということになります。寿命が90年近くあるシャチの閉経年齢が30代であり、このシミュレーションが適切なものであることを予測させます。

なお、ここでいう母系は、複数の家系を持つ群が併存しており、なおかつ外来のオスが複数のメスと継続的にメイティングするタイプということになるでしょう。あるいはオスは群れに居つかないとしても、継続的に通い続けて、歳の離れた妹なり父系的な意味での姪が群れの中に複数いる状態である必要があります。

要するに父系社会の閉経現象は寿命に比して卵子が少ないから生じるものであり、そのタイミングは卵子の残数に応じたものということでしょう。したがって寿命と卵子数の不一致がヒトの閉経における謎という事になるのではないでしょうか。

以上のことを踏まえて、プレスリリースを再度読んでみると次のように書かれています。
更年期より前では、娘が保持する両親由来の二つの遺伝子はともに娘に自ら繁殖するよう促します。反対に更年期より後では、これら二つの遺伝子はともに娘に繁殖の終了を促します。しかしながら更年期では、遺伝子それぞれが自らのコピー数を増やそうとする結果、この二つの遺伝子は娘に対し相反する命令を出すことが予測されます。父親由来の遺伝子は閉経を促します。これは父親由来遺伝子を共有する個体が周囲に沢山いるので、自らの繁殖を止め、そのような近親者の子育てを助ける方が得だからです*。反対に母親由来の遺伝子は繁殖の続行を命じます。なぜなら母親由来遺伝子を共有する個体は周囲にあまりいないので、閉経して他者の子育てに加わることは損だからです。
プレスリリース『女性に更年期が存在する進化的な理由を解明』 (強調は引用者)
繁殖において、*をつけたような現象が生じるのは、メスが分散しない母系社会の特徴です。著者たちの混乱の原因は、メスが自分の血縁者が多くいるところで繁殖するのは母系だけであるという基本的な認識を落としてしまったからではないでしょうか。確かにチンパンジーのような父系社会では、同世代におけるオスの血縁度が高いので、同世代の結びつきが強いという話があります。またオスはマザコンであるとも言われています。しかし群を出た娘の繁殖を助けるとか、群れにとどまる息子が誰かとつくった子供(孫)を育てるとか、息子と連合してアルファメイルにするとかいう話はありません。ゴリラもオランウータンも同様です。その場所から離れて血縁者のサポートが期待できない場所で繁殖するからこそメス分散です。あるいは母系社会にも性的二型があるということを失念したための論調なのかもしれません。

この結果をもって「ホミニゼーションの過程において母系集団を形成した時期があり、現生人類の閉経は適応的と言うよりも創始者効果にもとづいたものである」という主張をされたほうがアグレッシブな論文になってよかったのではないか、などと外野からの応援を述べてしめるとします。
追記(2013/12/26)
参加者のレポートを読んだので簡単に引用しておきます。
shorebirdさんも
(なお,説明はなかったが,この議論が成り立つためにはその娘自体は分散していないことが必要になるように思われる.だからすべてのメスが分散するわけではなく確率的にオスより分散しやすいという状況で,分散しなかったときに起こりうる状況だということだろう.またメスが分散しない場合には,オスの繁殖成功の分散の説明も当てはまることになる.)
2013-12-25 HBESJ 2013 HIROSHIMA 参加日誌 その3
とコメントするように、私が指摘したポイントについて発表者から言及はなかったようです。

2013年12月11日水曜日

閉経(更年期)の進化的要因についてのメモ書き


女性に更年期が存在する進化的な理由を解明』を読んで、著者の人たちに聞いてみたいいくつかのこと。(原著論文を読んだうえでの記事をアップしたので、そちらをごらんください)


・シャチやゴンドウクジラの群の構成と、成人個体の分散様式はヒト科の霊長類と全く異なるものだが、本研究で提示された仮説は前者にも適応できるものなのか?あるいはヒト科特有の条件での解明であるのか。
・娘の繁殖成功ではなく、孫の繁殖成功を優先させるのは、孫世代との近親交配を考えているのか?
・であるなら、今回のモデルは、オスの繁殖成功という観点において、娘個体それ自身の繁殖成功を制限してまで、孫世代の繁殖に貢献させるメリットは、孫やひ孫と繁殖する近郊弱性のデメリットを計量したものになっているのか
・上記に関連して、孫やひ孫をもつ壮年期・老年期のオスの繁殖成功度が、青年期や壮年期の非血縁オスより高いと考えているのか?
・オスの体格について、チンパンジーやオランウータンの繁殖成功の研究において、低順位個体による繁殖成功がそれなりに高いことが示されているが、今回これは考慮されているか?
・そもそもパン族と分岐以降のヒト属の群形態をゴリラ的なものか、あるいはチンパンジー的なものどちらを想定して分析したのか。あるいはどちらでも今回のような結論を得られたのか。


といった感じ。

2013年8月14日水曜日

藤原辰史ナチス三部作

 先月の事になるが、河合隼雄賞の授賞式が行われた河合隼雄物語賞に西加奈子氏 学芸賞は藤原辰史氏。学芸賞を受賞した藤原氏の著作は何作も読んでいるので、受賞を記念していくつか紹介したい。藤原氏の著作には大東亜共栄圏の研究もあるが、ここでは受賞作の『ナチスのキッチン』にちなみ、ナチス関連の三作をまとめて紹介する。

ただし、藤原氏の最初の著作は神智学者ルドルフ・シュタイナーが考案したバイオダイナミック農法に関わるものだが、理解しやすさを重視して研究対象の年代を順におって紹介することとしたい(期せずして単価が安い順にもなっているけれど)

『カブラの冬』はナチスの前史にあたる。第一次世界大戦(1914−1918年)、イギリスによる海上封鎖をうけたドイツに何が起きたのかというのがテーマだ。20世紀、化学肥料の普及は食料生産の向上をもたらしていたが、それは同時に肥料を国外に依存することを意味していた。三大肥料である窒素・リン酸・カリウムのうち、リン鉱石とカリウムをチリに依存していた当時のドイツは、海上封鎖によって深刻な肥料不足がおきたのだ。さらに当時の栄養学者や農学者たちは、豚を食べなければその飼料となる穀物や芋類を人の食料にまわせるので食糧危機に対応できると主張した。
こうして、ついに人類史上最大の豚の集団殺戮が始まった。「豚はドイツの第九の敵だ」というスローガンさえ叫ばれた。
保存や加工の手順を考えずに行われたその政策は、多くの豚を無残に殺しただけで終わってしまった。炭水化物とタンパク質の違いを考えないなど当時の栄養学の限界も露呈した。

そういった中で生じたのが70万とも80万ともいう餓死者を生んだ「カブラの冬」(1916~17年)である。食べ物の恨みは深い。ナチスはこの責任を裏切り者・内通者のせいであるとし、裏切り者とはユダヤ人であるとしたのだ。この戦略は功を奏し、世界で最も民主的な憲法を持つ国家といわれたワイマール共和国は20年をもたず、民主主義国家は幕をおろし、ドイツはナチスドイツへと変貌する。


この『ナチスドイツの有機農業』は長らく品切れ状態が続いていたが、昨年〈新装版〉として再販された。お値段も3990円からお買い求めやすい2,940円に値下げである

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さて、第一次世界大戦における海上封鎖の記憶に対し、ナチスドイツの取り組みは二つあった。ひとつは生存圏を確保するという事。もうひとつは化学肥料に依存しない農法の確立である。その後者の一翼を担ったのがシュタイナーのバイオダイナミック(BD)農法だった。
BD農法とは、20世紀初頭にあらわれた有機農法のひとつであり、同時代のほかの有機農法と比較して特殊なのは、謎の(神秘的な)調剤を利用した堆肥作りと、(実は伝統的な農業歴を孫引きした)神秘主義的な農業歴である。
シュタイナーは有機農業の神智学的理論付を行っただけであって、特にBDと名付けたわけではないが、シュタイナーの死後、後継者のエアハルト・バルチェとエルンスト・シュテーゲマンが、生物学的biologisch調整とエーテル的力とアストラル的(魂的)力の関係性を表現する動態的dynamischな側面双方表現するべく、シュタイナーの農業理論をバイオダイナミックbioligisch-dynamisch農法と称したという。
ただし、有機農法という発想が出てきた背景は、ドイツのように海上封鎖されて化学肥料が利用できなくなってきたことだけとはいえない。当時利用されていた農薬は土壌汚染(ヒ素、水銀、銅など)をもたらし、多量の窒素肥料の投入は土壌の酸性化、保水力の低下、害虫の大発生の原因となったと考える農学者も多かった。トラクターの導入は有畜農業離れをうみ、農家の堆肥生産する機会が減少していた。あるいは三圃式や有畜農業といった従来の技術との断絶によって、結果的に連作障害が生じていた。
 つまり当時の慣行栽培は限界が来ていたのだ。そのような中で旧来の農業への伝統回帰と神秘主義のカップリングがBD農法であり、一方で東洋(日本やインド)の伝統農業とヨーロッパの有畜農業の組み合わせをよりオープンな形で実践したのがハワードのインドール方式ということになる。
しかしナチスの幹部と接触した時、人間も自然も農場という「有機体」のひとつの要素にすぎないというシュタイナーのラディカルな「生物圏平等主義」は、ただ神秘主義である以上に人間に対して「抑圧的性格」を持ってしまった。
「生命の多様性」という言葉のなかで「人間の生活様式の多様性」が希薄になったBD農法の思想は、「人間集団に対する搾取や抑圧」を結局は認めてしまうのである。
このようなことが起きてしまった背景には、ナチズムのエコロジーはBD農法とは異なる起源を持っていたからである。
ナチスは最初少数政党から始まったことはよく知られている。しかしナチスが1932年第一党に躍り出た背景には、農村票を確保するために、収入の低下による離村傾向をとどめるべく打ち出した「ナチ党農業綱領」(1930年)があった。ナチスは「ドイツ民族の血の源泉」あるいは「遺伝的健全性の保有者」という人種主義的な意味付けをし、現体制が「生物学的・経済的な農民身分の意義を無視」していると批判した。
  なお有機農業嫌いやエコロジー思想嫌いが安直に「ナチス的全体主義と有機農業が親和性が高い」、あるいは「有機農業の否定である」という書評がウェブ上に散見されるが、そんな単純な主張はしていない。
第三帝国でもっとも普通に行われていたのは化学肥料と農薬を使ったいわゆる慣行農業である。第三帝国の農家にとってもBD農法は面倒すぎる主張だったようだ。一方でそのような極端な主張が慣行農業に対して、堆肥の重要性、菌層の重要性への回帰を促したとはいえないだろうか。


ナチスのキッチン
ナチスのキッチン
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藤原 辰史
水声社
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以上のように藤原辰史の三作は、ナチスの農業史・農業政策史という観点から、その起源(『カブラの冬』)と政策上の問題と農家の農業実践の実態やその理論(『ナチスの有機農業』)というだけにとどまらず、さらに消費者サイドからも読みなおす(『ナチスのキッチン』)という、20世紀前半のドイツ社会の全体像を見せてくれる優れた作品であり、それを一人の研究者が行ったというだけで特筆すべき業績だと考える。
以上簡単に三作を紹介した。ぜひ書店や図書館で手にとって読んでみて欲しい。

2013年6月29日土曜日

8つのボールから重さの違うボールを1個を識別せよ

ツイッターで次のようなものが流れてきた。
あなたは同じサイズのボールを8つもっています。
そのうち7つは同じ重さですが、1つはほかのものよりもわずかに重いです。
秤を2回だけ使ってこのわずかに重いボールを見つけるには
どうすればいいですか

入社試験・面接試験の奇問難問をまとめてみたぜ
ひと目で解けてしまった(8つの球を3,3,2にわけて測る)のだけれど、記憶によれば、この問題のオリジナルバージョンは求めるボールが軽いか重いかわからなかったはず。となると上述の問題とは異なる解法が必要。ただ、天秤をつかう回数が2回なのか記憶にない。どうだっけ。
まず上述の問の場合
  1. 3,3,2にわける
  2. 3と3で秤にかけて比較し(1回目)、釣り合えば残した2個のボールのどちらか(a)。吊り合わなければ、重たい3つの中にある(b)
  3. (a)の場合
    二つを比較し、重いほうが求めるボール(2回目)
    (b)の場合
    三つのボールのうち二つを比較し(2回目)、一致すれば残りの1個。吊り合わなければ重いほうが求めるボール
しかし、求めるボールが重いかどうかわからない場合、(a)なら二つまで特定できるけれど、その二つを比較するだけでは、重いほうか軽いほうかわからない。
そこで工夫をしよう。残りの6個は等しい重さのボールであることがわかっているのだから、そのうち1個と二個のうち1個を比較すれば、(b) のケースと同様なやりかたで特定できる。
  1. つまり秤にかけて(2回目)等しければ、秤にかけていない残りの1個が求めるボール
  2. 6個のボールから選んだものと、2個のうち1個が等しくなければ(2回目)、重くても軽くても後者が求めるボールである。
(b)の場合、重さがわかっているボールは量っていない2個だけで、求めるボールは6個の中に。問は6この内1個が重さが違うというレベルでとまっているように思われるかもしれない。 しかし3つにグループ分けしたという情報と重さが明らかになっている2個のボールは利用できる。

  1. そこで一回目にグループ分けした3つの組をαβと識別し、それぞれのボールをα(1,2,3)、β(1,2,3)と識別する。
  2. 天秤にのっている三つからα3とβ2、β3を取り除き、重さのわかっている2つをβグループに、β2をαグループに追加する(2回目)。
ここで分岐は次のようになる。

  1. α(1,2)とβ1のうちにあるのならば傾きはかわらない。
    →α1とα2で比較する[ただしαグループが置かれた場所にα1、βグループが置かれていた場所にα2を置く](3回目)
    →答えがα1なら最初の傾きが変わらず。α2なら傾きは変わる。β1なら釣り合う
  2. 2回目の計量に関与していないα3、β3のどちらかなら二回目の計量はつりあう。
    →α3と重さのわかっているボールを比較(3回目)
    →α3なら傾き、β3ならつりあう
  3. 2回目に場所が変わったβ2なら傾きがかわる
このように秤の左右性を考慮すれば少なくとも3回で特定できそうである。