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2013年8月14日水曜日

藤原辰史ナチス三部作

 先月の事になるが、河合隼雄賞の授賞式が行われた河合隼雄物語賞に西加奈子氏 学芸賞は藤原辰史氏。学芸賞を受賞した藤原氏の著作は何作も読んでいるので、受賞を記念していくつか紹介したい。藤原氏の著作には大東亜共栄圏の研究もあるが、ここでは受賞作の『ナチスのキッチン』にちなみ、ナチス関連の三作をまとめて紹介する。

ただし、藤原氏の最初の著作は神智学者ルドルフ・シュタイナーが考案したバイオダイナミック農法に関わるものだが、理解しやすさを重視して研究対象の年代を順におって紹介することとしたい(期せずして単価が安い順にもなっているけれど)

『カブラの冬』はナチスの前史にあたる。第一次世界大戦(1914−1918年)、イギリスによる海上封鎖をうけたドイツに何が起きたのかというのがテーマだ。20世紀、化学肥料の普及は食料生産の向上をもたらしていたが、それは同時に肥料を国外に依存することを意味していた。三大肥料である窒素・リン酸・カリウムのうち、リン鉱石とカリウムをチリに依存していた当時のドイツは、海上封鎖によって深刻な肥料不足がおきたのだ。さらに当時の栄養学者や農学者たちは、豚を食べなければその飼料となる穀物や芋類を人の食料にまわせるので食糧危機に対応できると主張した。
こうして、ついに人類史上最大の豚の集団殺戮が始まった。「豚はドイツの第九の敵だ」というスローガンさえ叫ばれた。
保存や加工の手順を考えずに行われたその政策は、多くの豚を無残に殺しただけで終わってしまった。炭水化物とタンパク質の違いを考えないなど当時の栄養学の限界も露呈した。

そういった中で生じたのが70万とも80万ともいう餓死者を生んだ「カブラの冬」(1916~17年)である。食べ物の恨みは深い。ナチスはこの責任を裏切り者・内通者のせいであるとし、裏切り者とはユダヤ人であるとしたのだ。この戦略は功を奏し、世界で最も民主的な憲法を持つ国家といわれたワイマール共和国は20年をもたず、民主主義国家は幕をおろし、ドイツはナチスドイツへと変貌する。


この『ナチスドイツの有機農業』は長らく品切れ状態が続いていたが、昨年〈新装版〉として再販された。お値段も3990円からお買い求めやすい2,940円に値下げである

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さて、第一次世界大戦における海上封鎖の記憶に対し、ナチスドイツの取り組みは二つあった。ひとつは生存圏を確保するという事。もうひとつは化学肥料に依存しない農法の確立である。その後者の一翼を担ったのがシュタイナーのバイオダイナミック(BD)農法だった。
BD農法とは、20世紀初頭にあらわれた有機農法のひとつであり、同時代のほかの有機農法と比較して特殊なのは、謎の(神秘的な)調剤を利用した堆肥作りと、(実は伝統的な農業歴を孫引きした)神秘主義的な農業歴である。
シュタイナーは有機農業の神智学的理論付を行っただけであって、特にBDと名付けたわけではないが、シュタイナーの死後、後継者のエアハルト・バルチェとエルンスト・シュテーゲマンが、生物学的biologisch調整とエーテル的力とアストラル的(魂的)力の関係性を表現する動態的dynamischな側面双方表現するべく、シュタイナーの農業理論をバイオダイナミックbioligisch-dynamisch農法と称したという。
ただし、有機農法という発想が出てきた背景は、ドイツのように海上封鎖されて化学肥料が利用できなくなってきたことだけとはいえない。当時利用されていた農薬は土壌汚染(ヒ素、水銀、銅など)をもたらし、多量の窒素肥料の投入は土壌の酸性化、保水力の低下、害虫の大発生の原因となったと考える農学者も多かった。トラクターの導入は有畜農業離れをうみ、農家の堆肥生産する機会が減少していた。あるいは三圃式や有畜農業といった従来の技術との断絶によって、結果的に連作障害が生じていた。
 つまり当時の慣行栽培は限界が来ていたのだ。そのような中で旧来の農業への伝統回帰と神秘主義のカップリングがBD農法であり、一方で東洋(日本やインド)の伝統農業とヨーロッパの有畜農業の組み合わせをよりオープンな形で実践したのがハワードのインドール方式ということになる。
しかしナチスの幹部と接触した時、人間も自然も農場という「有機体」のひとつの要素にすぎないというシュタイナーのラディカルな「生物圏平等主義」は、ただ神秘主義である以上に人間に対して「抑圧的性格」を持ってしまった。
「生命の多様性」という言葉のなかで「人間の生活様式の多様性」が希薄になったBD農法の思想は、「人間集団に対する搾取や抑圧」を結局は認めてしまうのである。
このようなことが起きてしまった背景には、ナチズムのエコロジーはBD農法とは異なる起源を持っていたからである。
ナチスは最初少数政党から始まったことはよく知られている。しかしナチスが1932年第一党に躍り出た背景には、農村票を確保するために、収入の低下による離村傾向をとどめるべく打ち出した「ナチ党農業綱領」(1930年)があった。ナチスは「ドイツ民族の血の源泉」あるいは「遺伝的健全性の保有者」という人種主義的な意味付けをし、現体制が「生物学的・経済的な農民身分の意義を無視」していると批判した。
  なお有機農業嫌いやエコロジー思想嫌いが安直に「ナチス的全体主義と有機農業が親和性が高い」、あるいは「有機農業の否定である」という書評がウェブ上に散見されるが、そんな単純な主張はしていない。
第三帝国でもっとも普通に行われていたのは化学肥料と農薬を使ったいわゆる慣行農業である。第三帝国の農家にとってもBD農法は面倒すぎる主張だったようだ。一方でそのような極端な主張が慣行農業に対して、堆肥の重要性、菌層の重要性への回帰を促したとはいえないだろうか。


ナチスのキッチン
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以上のように藤原辰史の三作は、ナチスの農業史・農業政策史という観点から、その起源(『カブラの冬』)と政策上の問題と農家の農業実践の実態やその理論(『ナチスの有機農業』)というだけにとどまらず、さらに消費者サイドからも読みなおす(『ナチスのキッチン』)という、20世紀前半のドイツ社会の全体像を見せてくれる優れた作品であり、それを一人の研究者が行ったというだけで特筆すべき業績だと考える。
以上簡単に三作を紹介した。ぜひ書店や図書館で手にとって読んでみて欲しい。

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